そらからだいふく

ゆるいくらしとおもったこと

三浦春馬さんについて

三浦春馬さんが亡くなったことが私の中でかなりショックだったので、そのことについて話します。

物心ついた頃からテレビでよく拝見していただけに、30歳という若さでこの世を旅立ったことには、かなり衝撃を受けました。私の目から見た三浦春馬さんは、順風満帆に仕事をされていて芸能関係で仲の良いお友達も多い印象で、自ら命を絶つようには考えられず、今でも不思議に思っています。

 

マスメディアは三浦春馬さんのニュースで持ち切りとなり、共演していた方からは多くのメッセージが寄せられていました。マスコミの余計な詮索や、芸能人ならではの苦悩が原因ではないか等といった勝手な決めつけも多く見受けられました。

「どうして死という選択をしたのか」、「何が真実か」それはきっと本人にしかわからないことで、死の原因について勝手に推測することは故人の尊厳を傷つける行為なのではないのだろうか。そもそも死生観は人それぞれ違うので、「苦悩から逃れるために死を選んだ」などという推測は安直な決めつけでしかないように思う。

 

そしてもう一つ感じたこと、それは話題が移り変わるのがあまりに早いことです。

三浦春馬さんが亡くなってまだ数日ですが、もう世の中は他の話題で溢れています。メディアは様々な情報発信が求められるため、当たり前のことと言えばそうなのだけど、こうしてこの話題に触れる人が減り、三浦春馬さんのことを想う人も減ってしまうのだろうかと思うと、とても悲しい気持ちになりました。

私の職場でも一時は話題となりましたが、笑いながら話す同僚が理解できませんでした。あぁ、きっとこの人にとっては「新ドラマが面白い」とか「夕方から雨が降るらしい」とか、そういった話題の一つに過ぎないんだろうなと思い、そのとき私はその人に対する怒りと失望、人の死に対する悲しみと寂しさが混ざったような、もやもやが残りました。次の日には三浦春馬さんの話に触れる人はおらず、普段通り笑顔で会話を楽しむ姿を見て、なんとも言えない気持ちになりました。

 

人の死は悲しむべきだと押し付けるわけではありません。しかしそれがたとえ会ったこともない赤の他人であろうと、人が亡くなったということを軽んじるべきではないと思うのです。皆それぞれ大切な人が居て、同じように大切に想われている。人の命は等しく尊いものです。ひどく感傷的になっている気がしますが、これが今私が考えていることです。

 

「ヒトは忘れる生き物だ」とよく言いますが、私は三浦春馬さんと三浦春馬さんの死を通じて感じたこの気持ちを忘れないようにしたいです。そして世界中のいろんな人の心にも残っていると信じたい。あの素敵な演技を、歌声を、ダンスをしていた三浦春馬さん、みんなの心で、記憶の中で居続けてください。

 

 

三浦春馬さん どうか安らかにおやすみください。